日々是好日

自分を大切にするって、なんだろう。

生きているとさまざまなことに直面する。

今日とてもいいことがあったと思えば、次の日にはもうダウンしている。

そんな状況におちいることもしばしばだ。

わたしたちは、一日に何万回と思考するらしい。

意識的に考えていることもあるけれど、そのほとんどが無意識だ。

だからこそ、環境や関わる人がものすごく大切だと感じる。

優しい空気の人と一緒にいれば自然とそうなっていくし、怒りっぽい人と一緒にいれば意識しなくても、どこか怒りっぽくなる。

人は、人と関わりあって、自分を発見すると思う。

こういうことが嫌なんだ。とかこんなことをされたら嬉しく感じるんだ。とか。私は、この人とは違う意見だとか。私はこんな人になりたいな。とか。

自分が身を置く環境はとても大切だと思う。

どんな場所に住むのか、毎日帰る家は心休まる場所か、無理をしないでもいられる人間関係がまわりにあるか。

それに、こういう所素敵だな。と思える人ができるだけ多い方がいい。

挨拶をしない人、よく怒っている人、自分の仕事に集中している人、声掛けをしない人このような環境にいるということは、心地悪い。だけど、それも少しは自分にその要素があるということもある。

幼稚園や小学校のころ、よく仮病で休んでいた。

今日は行きたくない。とかあのクラスには行きたくない。とか、そういうなんだか行きたくないな。と感じる空気感が漂う場所ってある。

それは人それぞれで、わたしはよくカフェとかでそれを感じる。

言語化してみると、自分にとって心地良くないことが具体的にちゃんとある。

心地よくないこと

・床が汚れている
・電気が1個切れたまま
・カウンターにモノがたくさん置かれている
・照明の色が白すぎて、落ち着かない
・そこにいる人が全員スマホの世界に行っている
・挨拶とか声掛けがない
・どんよりしたムードが漂っている
・御手洗いが汚い
・天井が低い

・床が汚れている⇒きれいな床が良い
・電気が1個切れたまま⇒照明はいつも全部照らしてほしい
・カウンターにモノがたくさん置かれている⇒整理整頓したい
・照明の色が白すぎて、落ち着かない⇒オレンジ系のライトが落ち着く
・そこにいる人が全員スマホの世界に行っている⇒あたたかみのある雰囲気が好き
・挨拶とか声掛けがない⇒挨拶は世界共通のコミュニケーションだよ
・どんよりしたムードが漂っている⇒適度な活気はほしい
・御手洗いが汚い⇒汚れやすいところほど綺麗にしたい
・天井が低い⇒天井が高く開放的だと考え方も自由になれる

これは自分の望みをだすのにとっても最適。心地よくないことを経験してわかる私の理想だから。

苦手な人ってどんなひと?

・挨拶しない人
・目を合わせない人
・人の話聞かない人
・頭ごなしに怒る人
・正しいことをいう人
・相手の状況を考えない人
・人によって態度を変える人

何故嫌なのかな。

・挨拶しない人⇒普通するでしょ
・目を合わせない人⇒目を合わせて話しなさいって言われた
・人の話聞かない人⇒人の話を聞くべきでしょ
・頭ごなしに怒る人⇒感情のコントロールしないとだめでしょ
・正しいことをいう人⇒そんな正論だれでも言える
・相手の状況を考えない人⇒相手に思いやりを持って関わろうね
・人によって態度を変える人⇒媚び打ってるの?

ほとんどは、親や先生や社会で生きていく上での常識として教えてもらってきたことだな。って思った。

ふと思ったんです。わたしも同じことやってることある。

苦手な人のエッセンスもわたしの一部

挨拶しないまでとはいかなくても、疲れてて声が小さくなったり(相手は聞こえてないかも。)、ものすごくイライラしてて目を合わせたくないと思ったり、これだけ頑張ってるんだよ!ってわかってほしいと思うばかりに、相手の言いたいことに耳を傾けられなかったり、人によって態度をかえるなんて普通にしてる気がする。

何が言いたいかっていうと、結局嫌いな人とか苦手な人のエッセンスって自分にもある。ってこと。だから、分かるから、余計にむかついたりイライラしたりする。

でもさ、自分も結局同じことをやってるんだって思うと、なんかどーでもよくなるというか。その人は今そういう状況だったんだな。って仕方ないな。って思えるようになる。

わたしはわたしだけど、あなたもわたし。同じ人間。

いいことばっかりじゃないし、いやなことも起きる。

嫌いなところだけでなく、好きなところもたくさんある。

晴れの日もあれば雨の日もあるような感じだ。

そして、自分も相手も同じ人間だってこと。

同じ人間だけど、自分と相手は違う。

自分が分かってほしいと願うように、相手も同じように思ってる。

自分が怒っているとき、相手も同じように何かに感情的になってる。

すべては同時に起きていて、それぞれがそれぞれの状況や立場、関係性で今まで生きてきて気づきあげた信念とか考え方とか感情との付き合い方とか、ぜんぶ違う。

だから、みんな同じだったこと。

昔よく、親に聞いてた。

どうして大人が正しくて、子供は間違ってるの?
どうして親のいうことを聞かないといけなくて、子供の言い分は聞いてくれないの?

確かに、大人のほうが何年も生きてきて、経験量がまったくちがう。
でも、今同じことを子供に言われたら確かにそうだな。って思う。

自分のことは自分が一番大切にすること

ひとりひとり経験や感じてきたことが一緒な人はこの世に一人としていない。だからこそ、違いがあって、そこに意見があって、すれ違いや、分かち合いがあって、人との繋がりができていく。そうやって、わたしを作ってく。

自分のことしか見えなくなったり、自分のことを大切にしようとしすぎるあまり、相手との違いを理解しないという姿勢をとるようになってしまうこともある。

でもそれは結局、自分のことを大切にしてる行為ではないと思う。

やっぱり、正直に向き合って大切にしてあげる。自分の思ったこととか感じたことを大切にできれば、相手の領域までも大切にできる。

それは、よくなかったなという反省から、よくやったという労いまで、自分には正直に行うこと。嫌だ受け入れないと思うとき、拒絶がでてシャットダウンをする。そうするともう相手のことは見えないのは当然だけど、自分のことさえ見えなくなってしまう。

だって本当は違うんだもん。わかってほしかったことや伝えたかったことが、素直に表現できなかっただけだ。

そうすれば、相手のことも同じように理解できるようになる

自分には自分の捉え方考え方伝え方があるように、相手にも相手の捉え方考え方伝え方がある。

自分にとって大切なものがあるように、相手にも大切なものがある。
でもそれは、大切にするやり方も違えば、表現方法も全部ちがうんだ。

自分のことを大切にできれば、相手の領域(考え方とかいろいろ)も大切なんだと思える。

相手が感じたことや相手の言い分も、相手なりに考え、相手の表現方法なのだと理解できるようになる。

それは、自分とは違うかもしれないけれど。

もちつもたれつの関係でもないし、どちらかを優先するという話でもない。どちらかが折れるという話でもない。

同じように、それぞれに、それぞれの想いがあるということだ。

そんなことを考えたくないときは無理する必要はないし、考え方を理解できない人(理解したくない)と思う人もいる。それはそれでいいと思う。

自分はどうやって生きていきたいかだから。あくまで自分のことだから。